最高の精神安定剤とは

生活していると、周りの人、メディアなどを見て危機感や不安など抱えている人もいるだろう

これらの感情は一概に悪いものとは言えない 行動の原動力となるのは、これらのことで人が人として生きていく、行動していくためには必要不可欠だからだ

だが、過度にこれらの感情が煽られるすぎる場合が、今日日本で多すぎるなのが問題だ、大問題だ

それのいい証拠に最近は鬱が劇的に増えている

SNSやメディアの発達により、悪い意味で自分と違いすぎる人と距離が近くなりすぎていることが原因になっていることは想像に難くない

自分が本来視覚に入らないような人まで視覚に入れてしまい過度に比較しすぎてしまっているのである より正確に言うなら比較せざるをえない状況になっているのである

そうなるとどうなるであろうか 本来するでなかったであろう 負けや勝ちを経験してしまうのである

それが原因で 負けによる負の感情を抱えすぎてしまい鬱を引き起こしてしまっているのがよくあるパターンだろう

 

そういった状態に対してよく、人は人、自分は自分だから気にしなくていいのような、アドバイスに見せたナイフのような言葉を聞くと思う

はっきり言おう それができたら苦労しないのである もししようと思うと、SNSを使わない、携帯を使わない、インターネットを使わないぐらいしなければならず現実的に極めて不可能なのである

今の日本にこれらのものが無い状態で暮らせるものがどれだけいるだろうか 殆どいない こんな無価値で間抜けなアドバイスもそうないだろう

 

まあ、ここまで言って解決策を出さなければムシケラ同然になってしまうので、自分の意見も述べておく(ここから本題前置き長すぎ)

それは昨日と今日では何か違うという実感を持てるように行動することである

見た目、知識、考え方、行動範囲、仕草、発言なんでもいいとにかく昨日とは違う何かを今日、そして明日持っておくことが大事なのである

 

人間変化を嫌う生き物だが、変化さすが無いものもまたよくないのである

読者のみなさまも精神的にきつくなる、虚無になる、そのような状態になってしまう時は変化がなさすぎる時ではないだろうか

人間変化が無ければまともに生きてはいけないのである

自分の実感としてもあるし、周りの実感としてもある

何でもいいから昨日とは違う自分になって欲しいそうすれば、行動が変わり、言動が変わり、考え方が変わり、人が変わり、周りが変わっていく

いい方向に回っていくのである

 

男の人生がいかに無理ゲーか

たまに、男に生まれたかったーなど馬鹿なことを抜かす舐めた女どもがいるが正気だろうか

こう言う奴らは概して男としてのメリットしか目を向けていない、そして、今自分が持っているメリットが何故か性別が変わっても引き継がれると思っている 甘い、あますぎる

何よりも男に生まれたかったーというのが、正確には(AもBもCもみんなが憧れ、そして推す超絶強者の)男に生まれたかったーという超絶特殊ケースを指しているのがなおさらタチが悪い

なぜそんなに上手く行くと思っているのだろうか

なぜ自分が少数側に入れると思っているのか、なぜ今自分の持っている権威が引き継がれると思っているのか 

本当に頭が自分に都合よく出来すぎていて反吐が出る

仮に子持ちな人がこの記事を読んでいてくださっているなら、息子と自分が同じ年齢ぐらいだった時を比べて見て欲しい それを見てもまだ男の方がよかったと言えるだろうか 大抵の場合は自分の方が楽しんでいたと思うのではないだろうか 

 

子供がいないのなら性別をいじれるサービスで、一旦男にしてみればいい どんだけサービスに違いがあるのか 周りからの扱われ方が違うのか実感できるはずである

 

これらを実際にやってみて確かに男の方がいいと感じるなら それは本物だろう

 

ただ、多くは違うだろう 大抵の場合思っていたなと違うとなるであろう 多くがそう感じているいい例として、男→女、女→男の作品の数も見てもらえるとより実感できるのではないだろうか

 

そして今日の日本は超絶女最強社会である

なぜここまで現実社会でもパワーバランスが崩れ圧倒的に女に対して、権力がもたらさせているのに、それでもなお男に生まれてきたら良かったなーと思うやつがいるのか

本当になぞである

 

 

主語がでかくない状況なんてない

最近よく主語がでかい、主語がでかいというのを聞く

しかし、そもそも主語がデカくないなんて状況なんか殆どないのではないだろうか

言葉がそもそも抽象であるだけに言葉にして表現した瞬間に多数のものを一編に指し示してしまうから必然的に主語が大きくなってしまうのである

言葉を使って主語が大きくない状態なんてホント個人名ぐらいではないだろうか

主語でかいなんて百歩譲って発信側が保険として言うのは分かるが、受け取る側が主語がでかくてあーだこーだ言うのは極めてナンセンスである

例えるなら傾向の話をしているのに個別具体的な反例を持ち出してくるようなやつである

数学でも論理でもいいから命題について学び直してほしい

これと同じぐらい主語が大きいという切り返しはナンセンスだと感じている

タイパなんて誰も使わない

少し前タイパなる言葉が流行った(気がする)

正直今はほとんど死語だろう

正直流行っていると感じていた時でさえ、実際使っていたのは若作りしたいジジババだけだった気がする

なんとなくだかタイパという言葉は流行っていたのではなく、流行らせたかったというのが本当の状態なのではないだろうか

少し前にジジババに流行っている(テレビでも言っている、若者が使っているらしい)と言われてから、ずっと抱いているこの人工的な物に対する違和感である

20代以降は年齢の自覚が大切

20才までは日々の生活に流されるだけ、周りと同じようなことをしているだけで、ある程度正解の道筋、少なくともハズレはなかなか引かないものだろう

しかし、それ以降の年齢では別だ

ただ流されているだけでは自分だけ負け組という状態に陥ることがおうおうとしてある

就活含め、仕事をしてからもだ

それに加え、流されていると空っぽの20代を過ごしかねない

最近自分もやっと危機感が芽生えてきた

前まで年齢何歳だったかな?と分からない場面が多々あったが、それは流されている証拠、ただ平然と何も考えずに日々を過ごしている証拠であった

これだと先程言ったことになりかねないので、自分が何歳だという自覚をもち、そして危機感をもち日々を過ごしていきたい 今しか本気にならないでいつ本気になるんだ この気持ちが衰えないように自分を奮い立たせていきたい

人を見る目があるなと無いなを繰り返す

人を見る目があるなーという瞬間とないなーという瞬間を繰り返しているがそれは結局

外してる場合を含んでいるのだから、考えるまでもなく見る目がないということなのである

メチャクチャ当たり前のことを書き記しておく

 

世の中判断しにくいものは、結局悪い方に落ち着くことが多い気がする

昔のアニメを見返すのが怖い

年をくうことによって、経験が積み重なり物の感じ方にも変化が出てくるものである

アニメも例にもれずである

中高生の時に何も頭も使わずみたもの、ストレートなら受け取っていたものを

今の歳食った自分がみて裏の意味などを読み取り印象が変わってしまうことがあるだろう

それが怖いのである 特にいい印象を抱いていたものが特にそうである

こういう気持ちもあってかアニメ自体との接触自体が減りアニメ離れが加速している今日この頃である